「たとへば、こんな怪談ばなし =迷子のご先祖様=」  「ふえー!今日も一日がおわったーー!!」  23時30分、もう誰もいないビルのフロアで星野は一息ついた…  フロアの最終退場のチェックをすませ、守衛用の重い出口の扉を開け ると外は小雨…  「チッ、ついてねえなぁ!」  星野は鞄を頭にかざすと、トボトボと歩きだした。  「クッソー!今日は絶対降らねえって、天気予報でいっていたよな!!」  駅までの長い道のりである。愚痴の一つでも言いたくなる。  「大体、何だってこんな辺鄙なところにビルがあるんだ!駅まで、コ ンビニ一つ無いじゃないか。会社も、こんな所に引っ越しやがって…家 賃が安いかだどうか知らねえけど、社員は一日の大半は会社で生活して んだぞ!!」  星野の愚痴がひどくなるに連れ、雨足の方もひどくなっていった…  星野の勤める会社は横浜港にある埋め立て地にある。横浜と言えば聞 こえは良いが、横浜駅までは道のりとして約5キロ,直線距離にして約 2キロの場所である。一番近い駅で、近道してもゆうに1キロはある…  星野は寂しいのを承知で近道を歩いた…  ビルを出て5,6分歩いただろうか…星野は自分後ろから、下駄の音 が付いてくるに気付いた。  (何だろう…ここは地元の人でも滅多に通らない所。まして、今は夜 中だし…)  星野が後ろを気にしている間にも、下駄の音はどんどん近いてきた。  (何かなあ…時期が時期だし。通り魔かなぁ?それにしては、景気よ く下駄の音をさせているしなぁ…うん?もしかしたら…妖怪!?)  子供の頃から、祖母に妖怪や幽霊話しを飽きるほど聞かされていた星 野ならではの発想であった。  下駄の音が真近に迫ったとき、星野はその身を道の端に避け、  「べとべとさん、先においき…」 と言って、頭を下げた。  下駄の音は星野の横を通過したが、あろうことに、星野の前に回りこ んで止まった。  (嘘!こんな話し聞いたこと無いぞ!!俺はちゃんと道を譲ったのに…)  と目をつぶって、半ば恐怖に震えていた星野に、  「おじちゃん、なにやってんの?」 と声がした。  星野が恐る恐る目を開けると、そこには番傘をさして、下駄を履いた 小学生位の女の子がいた。  「なぁんだ!脅かしやがる!!」 と言って、星野は全身の力が抜けるのを感じた。冷や汗もかいていただ ろうが、雨に紛れて判らなかった。  「おじちゃん、どうしたの?」  少女は星野の顔を覗きこんだ。  「いや…別に。それより、こんな夜中にどうしたの?こんな所で、う ろうろしてたら、お父さんやお母さんが心配しているだろ!!」  脅かされた反動もあるのだろう…星野は少し怒った口調で少女に言っ た。  少女はキョトンとしていたが、やがて半べその声で、  「はぐれちゃったの…」  「はぐれたぁ?」  おどろいて、素っ頓狂な声を出した星野に、  「うん…さっきまでお姉ちゃんと一緒だったけど、お姉ちゃんともは ぐれちゃったの…」  星野は気を取り直して、  「フ、フーン。それで、おうちはどこ?」  「わかんなーい」  「名前は?」  「まいこ…」  少女は益々泣きそうな声で答えた。  「まいこちゃんか」  「…うん」  (迷子のまいこちゃんか)  多少、余裕が出てきた星野であった。  「とりあえず、駅まで一緒に行こう。駅前の交番でおまわりさんに聞 いてみよう?」  少女はコックリとうなづいた。  二人は、駅に向かって歩きだした。星野は相変わらず、鞄を頭にかざ したままであった。  少女の履いている下駄の音が寂しくこだましていた…  星野はその音に不気味な物を感じたのか、少女に次々と語り掛けた。  「ま、まいこちゃんは、お姉ちゃんとこんな所で何をやっていたの?」  「んとね、みんなでね、おうちに帰る途中でね。おっきくて綺麗な橋 が見えたの…んでね、まいこ、あの橋見たいって、おかあちゃんに言っ たら、お母ちゃんがだめだって…だから、まいこ、まいこね、どうして もいきたい!っていったらね。姉ちゃんが一緒にいこって…」  「橋…?ああ、ベイブリッジの事か。」  「綺麗だよねっ?おじちゃん」  「うっ、そうだね…」  少女は、元気になったようだった…星野は(子供は現金な物だと)と 思いつつ(俺は”おじちゃん”じゃない!!)と言えなくて苦笑いして いた。  少女とおしゃべりをしながら駅に向かった、運河を幾つか渡って昔の 海岸線沿いにあった旧東海道を歩いていたとき、突然少女は、  「あっ、お姉ちゃん!!」 といって、急に暗い道をさしていた番傘を放り出して前の方に駆け出し た。星野には何も見えなかった。  「おっおい、まいこちゃん!かっ、カサ、傘!!」  星野は慌てて少女に声を掛けたが、少女は闇に吸い込まれるように消 えてしまった。  「おじちゃんに貸してあげる!これからどしゃぶりになるよ!!」 と、闇の中から少女の声が聞こえた…そして、下駄の音も何時しか消え ていった。  星野は少女の落とした番傘を手に持つと、少女を追うとしたが、その とたん小雨だったのが、まるでバケツをひっくり返したような豪雨に変 わった。  慌てて、番傘をさして少女の駆け出した方に走りだしたが、雨は星野 の行動を阻むがごとく勢いを増してきた。  「クッソーーー!!」  星野は悔しそうに少女の駆け出した方を目を凝らして見たが、やはり 何も見えなかった…  やむおえず、星野は少女の行為に甘える形になって番傘をさして家路 に付いた。  翌日、星野は番傘を持って会社に行く途中で、昨日少女が消えた場所 に行ってみた。  少女の駆け出した方を見ると…そこには、古いお寺があった。  星野は、(多分少女はこの家の子だろう…)と当たりをつけてお寺に 入って行った。  丁度、門の所で若いお坊さん掃除をしていたので、昨夜の事を話すと、  「さあ?まいことか言う少女は、ここには来ていませんが…」 と、若いお坊さんは穏やかに答えた。  「えっ?では、近所に住んでいる子供でしょうか?」  「すみません、私には判りません。御住職様ならば知っておられるで しょうが、生憎、御住職様は昨日から出かけています。お帰りになった ら、お尋ねしておきましょう」  「是非、お願いします」  「かしこまりました」  星野は若いお坊さんに頭を下げると、会社に向かった。  出社してしばらくは少女の事が気になっていたが、仕事をしている内 に忙しくて忘れてしまった…そして、また仕事が一段落付いたのが、 23:00。  会社のロッカーを開けて番傘を見ると、星野は忘れていた事を思いだ した。  「しまったー!」  これから、お寺にうかがうのも失礼だし、星野は、また明日うかがえ ば良いかぁ…と考えて、駅に向かった。  星野は止せばいいのに、昨日の近道を知らず知らずの内に歩いていた。  そして、昨日少女と出会った場所の近くに来ると、この道に数少ない 街灯の下に、人が立っているのが見えた。それは、着物を着た女性のよ うであった。  星野が通りかかると、その女性は声を掛けてきた。  「あの…、すみません」  「はい?」  星野が、驚いたように女性の方を見た。女性は歳の頃は20程度、結 構、星野好みの女性であった。  「すみません、お忙しいところを。その番傘、昨日妹がさしていた物 と同じ柄でしたので…」  その言葉に、星野はとっさに理解して、  「あっ、はい。あなたが、まいこちゃんのお姉さんでしたか?」  「はい」  星野は内心ほっとして、  「いやぁ、よかった…実はこの番傘を返そうと思っていたのですが、 まいこちゃんの家がわからなくって」  「そうでしょう?妹は、そそっかしくて…それに、方向音痴なもので」  女性は、くすくすとわらった。  「はは、そうでしたか」  星野もつられて笑った。  「ええ…だから、この道で待っていれば、いずれはあなたに会えるか と」  「でも、こんな夜中まで、よく待っていましたね?」  「えっ?ええ、昨日妹が、あなたに出会った時間を見計らって出てき ましたの」  「そうでしたか?では、この番傘をお返しします。どうも、ありがと う御座いました。」  と言って、星野は女性に番傘をさしだした。しかし、女性は首を横に 振って、  「どうやら…その必要はありませんわ」 と言いながら、夜空を見上げたが、その言葉が終わらない内に、雨がし としとと降り始めた。  「うそだろう?今日は降らないはずなのに」  「まあ、立ち話もなんですから、駅まで行きましょう」  女性の言葉に促されるように、星野は女性と一つ傘の下、歩きだした。  歩きながら、星野は女性に語り掛けた。  「家は、どちらです?この近くですか?」  「いいえ…保土ヶ谷の方ですの」  「あんな所から、ここまでよくきましたね?」  星野が感心した様な顔をすると、女性は慌てて、  「えっ?ええ、この近くに、いも…いいえ、叔母の実家があるもので」  「ああ、それで…保土ヶ谷ですか?私も子供の頃、保土ヶ谷に住んで いましたよ」  「そうですか、私ども一族は先祖代々保土ヶ谷に住んでいましたの」  「おや、奇遇ですね、私の祖母の実家も先祖代々保土ヶ谷に住んでい たんですよ」  「そうですか?失礼ですが、お名前は?」  「星野と申します」  星野は改まった口調で答えた。  女性は、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに優しい顔になって。  「星野…ですか?それでは、そのおばあさまのご実家は、秋山と言う のでは?」  「ええ、そうです。よくご存知で!」  「よく知っていますとも…私も秋山の者ですから…」 といって、女性は微笑み掛けた  「そうでしたか!同じ一族の人でしたか」  「はい、秋山静と言います。ところで…保土ヶ谷には、星野の家があ ったと思いましたが?」  「はい、今年の春まで…」  「え…?はっ春まで?」  驚いた女性の声に、星野は続けて、  「はい、私の祖父が住んでいましたが、今年の春、祖父が亡くなり、 今は空き家です」  「そうでしたか?それでは、御位牌は?」  「位牌ですか?それなら、私の父が引き取り、私の家に安置していま す」  「是非、そこへ連れて行って下さい!!」  「いいですよ。では、今度の日曜でも…」  「いいえ、今すぐに連れて行って下さい!」  女性は星野に哀願するような口調で言った。  「いっ、今すぐですか?」  驚く星野に、くって掛かるように、  「連れて行きなさい!!」  女性のものすごい気迫に押されて、星野はためらったが、星野はなぜ かその女性に逆らえないような気がして、しぶしぶ女性を家に連れて行 く事になった…  家に向かう途中、女性は星野が何を語り掛けても、無言であった。  家の門の前まで来ると、星野は  「ここがそうです。」 と女性に教えるように手で示した。  すると女性は、  「ありがとう…庄兵ちゃん、やっと帰る事が出来たわ」 と言って、星野の家の門に吸い込まれるように消えていった…  星野はその光景をしばらく唖然として、見ていた。  しばらくして我を取り戻した星野は、急に全身の力が抜けその場にヘ ナヘナとへたりこんでしまった。  その時、星野の父親が玄関を開けた。  「おい、庄兵!そんなところで、なにやってんだ!」  星野の父親は、門の前で座り込んでいる息子を見て、あきれた口調で 言った。  「おっおっ、親父。ゆ…ゆっ…でででた!」  星野は必死に父親に訴え掛けようとしたが、言葉が思うように出なか った。  「おい!何いってんだ?しっかりしろ。この!」  星野の父親は、星野を引きずるように家に上げた。  母親の差し出す麦茶を一気に飲み干し、やっとの事で気を持ち直した 星野は事の一部始終を、両親に話した。  星野の母親は、口を押さえて眼を見開いているばかりで、全然信じら れないと言う表情をして聞いていたが、父親の方は星野の話が進むにつ れ、真剣な表情に変わって行った…  …そして、星野が話を一通り済むとやおらに立ち上がって、  「庄兵!その場所に連れて行け!」  「えっ?いまからぁ?」  「そうだ!今すぐにだ!」 といって、仏壇の前に飾ってあった、盆提灯と線香その他を手に取った。  「おっ、親父なんだって急に…」  「いいから、早く車の用意をしろ!」 と、すごい剣幕で言った。  しばらくして、夜中の国道をとばす車中に星野親子の姿があった…  その道すがら、父親は星野に話した…それは、この様な事であった。  星野の祖母の実家は、横浜でも有数の旧家で、保土ヶ谷の近辺には一 族がまだ、多く住んでいる。  星野の祖母は、その一族の総本家であるが、祖母の兄弟が全員女であ ったため、家督が祖母の叔父に行ってしまった事。  しかし、先祖代々の位牌,墓等は、長女である祖母が守っていたとの 事。  祖母の死後、先祖代々の位牌,墓等は、祖父が受け継いで、星野家が 自分の先祖と秋山家を供養する事になった事。  ”まいこ”と言う名の女性は、7歳で死んだ祖母の一番下の妹である 事。  星野が”まいこ”と別れた古寺には、祖母の2番目の妹の墓がある事。  車が、その古寺の前に着くと、父親はその門前で、いきなり迎え火を 炊き始めた。そして…  「秋山まいこさま…貴方の姉、秋山静の息子がここにお迎えにきてい ます。さあ…ここにおいで下さい。ご先祖様の元にご案内します…」  と、言った。  …すると、風の無い蒸し暑い日なのに、迎え火の煙が大きくゆらぎは じめた。  「おおっ!来ましたか!!」 と言って、父親は盆提灯の蝋燭に迎え火の火を移した。  迎え火の火が燃え尽きるとき、一瞬、”まいこ”がこちらに向かって 微笑んでいるのを、星野は見たような気がした…  帰りの車の中で、星野は自分なりに今度の事を整理してみた。  (ご先祖様を、ちゃんと迎えに行かないと、迷う事があるんだなぁ…) と、星野はつくづく思った…と、同時に、静の顔を想いだし、  (しかし、あれが俺のばあちゃんの若い頃の姿か…結構美人だったよ なぁ…あれが、数十年経つと妖怪話好きの妖怪みたいな顔になるとは、 うーん…) と、考えた瞬間、星野の左肩に激痛が走った。 藤次郎正秀